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2006年12月31日 < Photo Gallery > |
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<旅日記 7・一気に行くばいラストまで>
『6日目』 10時前に目が覚める。天気悪し。今にも雨が降り出しそうだ。宿の軒先のイスに座り、新聞を読む。一日の始まり。今日は、せっかくだからやってみよう!と思う事が一つある。昨晩、宿のオーナーさんから聞いていた「シーサー作り」にトライしてみたい。シャワーを浴びて支度をしていたら「チワちゃん、送ってこうかー?」とオーナー。お言葉に甘え、シーサー作りの工房まで乗っけてってもらった。 今日はこのあと、嬉しいイベントが控えている。なんと今日は、例のミュージシャン友達の誕生日なのだ。仲間内で開かれる飲み会に僕もお呼ばれされていた。20時過ぎからぼちぼちと始まったその集い。10人ほどの誕生会だったが、その場に立ち会うことが出来てとても幸せな気持ちを分けてもらった。それぞれに年代の違う男達が何かの縁で繋がり、今ここに会していて、時には少年のように無邪気に、時には眉間にシワをよせながら真剣に真っ向からぶつかっている様が羨ましくもあった。生きてく上で、きっとこういう時間って必要なんだろうなぁ。もちろん僕にもそういう存在がいない訳ではないが、今の自分に、いや、これまでの自分に足りなかったことなのかも知れない。笑い声に包まれながら僕の心までほぐれて行く。
10時起床。遅くまで酒を飲んだ翌朝は無性に腹が減る。使い切れずに残していたゴーヤとスパム、沖縄そばを炒めてヤキソバでも作ろう!朝昼兼用だ。台所で一人調理していたら、2ヶ月この宿にいるというY君が現れる。『ソバが多すぎて一人じゃ食えないから良かったら食べない?』と聞くと、「ハァ、じゃあ・・・」と。小さいテーブルを挟み、男二人で食事をとった。さあ今日はシーサーの色塗りだ。シャワーを浴び、小雨の降る中、カッパを着て工房へ向かう。昼過ぎから色塗り開始。 まあ、こんなもんか。数日間乾かした後、梱包して送ってくれるそうだ。何とぞ、よろしくお願いします。 女の子たちも相当腹ペコだったようで、勢い良く料理に飛びついていた。昼メシを一緒に食べたY君にも声を掛ける。それでも食べ切れなさそうだったので、居間でくつろいでいた20代半ばの男の子と、同じく20代半ばの女の子も誘った。二人ともそれぞれ一人旅の途中だという。「晩ご飯は食べてきたので、じゃあ小皿一杯くらいで・・・」なんて言っていた青年D君。気が付けば「いや〜マジ美味いっすよ!」って、軽く5〜6杯はお替わりしてたなぁ。いいぞ、みんな!食え食え。みんなが美味しそうに食べてくれるのを見てると、こっちまで幸せな気分になるね。自分用に買ってきといた白ワインを開けているとみんなも飲むって言うんで、お裾分け。ついでに残っていた泡盛も。よーし!飲め飲め。10歳ほど年下の彼らと色んな話をさせてもらったが、「今を生きる」という上では年齢も地位も大した問題ではなく、根っこの部分ではビンビンに感じ合えるものがある。今まで自分だけが変なんじゃないかと思っていたような話題を振ると「あっ、それ私も分かります!」みたいな事が多々あったり、僕が知らなかった事を逆に教わったり、・・・。後片付けを終えてからも食堂に残った面々。その輪の中に宿のオーナーさんまで加わり、夢の話や歴史の話、はたまた宇宙の話まで、それぞれの考えや想いをぶつけ合う。楽しくて仕方ない。いつまででも語り合えそうな気がする。押し付けもせず、引き留めもせず、無理強いもせず。“最後の夜”が更けて行く。
午前9時。シャキッとした朝の目覚め。いよいよ東京に帰る日だ。結局この数日は天気もあいにくだったなぁ。でも、お陰で素敵な出会いがあったし、西表島はまたの機会にとっておこう。そうそう、昨晩遅くまで語り合ったD君は、朝早くに波照間島へと旅立ったらしい。野宿はやめとけよー! さあ、荷物でもまとめるか。まだみんな寝てるので静かに出発準備をしているとオーナーさん登場。わざと聞こえるように「チ〜ワちゃ〜ん出発やでぇ〜」。その大きな声にとみんなが起きてくる。玄関先に集まってくれたみんなと記念写真。『じゃあ、旅楽しんでね!』と別れを告げ、オーナーさんに空港まで送ってもらう。「見送りに行くから空港で待ってて」と言っていた例のミュージシャン友達も遅れて到着。「これ使ってくれ!」と、彼が自分でデザインしたパーカーとトートバッグを手渡される。友達とオーナーさんに最後まで見送ってもらいながら、手荷物検査場を通り抜けた。二人が最後に掛けてくれた言葉の温かさが胸に沁みる。「行ってらっしゃい!」。なぜだろう、悲しくないのに涙が溢れてくる。心の中は“ありがとう”でいっぱいなのに。石垣発羽田行き、JTA074便は、沢山のお土産と想い出を抱えた人たちで満席だった。 心がずいぶんと軽くなった気がする。自分に出来る事から始めればいいさ。“やろう!”と思った事から一つずつ始めてみればいいさ。来年に向け、今はそんな気持ちが芽生えている。 “ SLOWLY BUT SURELY ” これからも、そうやって歩いて行けたらと思うんだ。
先日、無事に、シーサーが届いた。ウチの守り神として、留守番として、招き犬!?として、これからも「ムクシーサー」は玄関で笑い続けるであろう。これにて<旅日記>は完結。お付き合いいただき、どうもありがとう! |
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2006年12月30日 <旅日記 6> 『5日目』 アラームが鳴るより前に、ハッと目が覚める。手足のかゆみと戦いながら、いつの間にか眠りに落ちていたようだ。暴風雨はいまだ止まず。さて今日はどうする。まずはフェリー会社に運行状況を確認。「通常通り」ということだ。よし、取り敢えずはいったん石垣島に戻ろう。始発の便に何とか間に合いそうだ。雨が小降になったのを見計らって港まで歩く。風はまだ強い。本当に船は出るのか?桟橋に着いて辺りを見回すと、駐車場に“あの”パトカーを発見。近付いて行くと車内に“あの”お巡りさんを確認。昨晩のお礼を告げ、フェリーへと乗り込んだ。それにしても風が強い。大丈夫かなぁ。その心配は、出港してすぐに形として現れた。今までに経験したことのない強烈な揺れ。右に左に傾きながら、船首が海面に叩き付けられる。決して大きいとは言えないその船体が、高くうねる荒波に飲み込まれそうになる。船内からは悲鳴にも似た叫び声があがる。真後ろに座るおばあさんは解読不能(琉球語であろう)な「念仏」らしきものを唱え始める。両手でしっかり掴まっていないと体が宙に浮きそうだ。1時間以上そんな状態が続いた。大袈裟かも知れないが、生まれて初めて、“死の恐怖”というものに身震いした。気が付けば僕も、心の中で『ナムアミダブツ』と繰り返していた。生きた心地のしない時間を乗り越え、やっとの思いで石垣島に到着。波照間島を出る時は、船が運航しているのであればそのまま乗り継いで西表島まで行こうと思っていたが、余りの恐怖にその気もなえた。今日は石垣島に泊まろう。 2泊の予定でチェックインを済ませ、荷物を置き、晩メシの買い出しへ。ゴーヤチャンプルでも作ろうかな。市場のおばちゃん達に聞きながら、必要なモノを一通り揃えた。その他、ビールと泡盛、地元のかまぼこ、そして以前から一度は食べてみたかったイラブチャー(ナンヨウブダイ)の刺身を買って宿に戻る。下ごしらえを済ませ、さっそく一人で調理開始。チャンプルの味付けは舌が覚えてる勘を頼りに。18時半くらいには出来上がった。今日は朝から何も口にしていない。いや〜マジ腹減った。いただきます!宿の誰よりも早く、一人の食堂で食べ始めた。
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2006年12月29日 <旅日記 5> 『4日目』 7時起床。朝食後にバタバタしないで済むように、ある程度の身支度をし、フェリーの時間を確認する。それから軽く朝の散歩へ。天気は薄曇り。 8時から食事。予定より少し早めに旅立とうかと思った矢先、面白そうな話が耳に飛び込んできた。「今日はこれから仔牛の出荷作業があるけど・・・。見に行く?」と。すると僕『どれくらいでここに戻って来れますか?』。宿の人「分からん!」。まあどうにでもなるか。急ぐ旅でもなし。ということで、他の宿泊者2名も一緒に軽トラの荷台に乗っけてもらい、牛舎へGO! 石垣島で行われる“セリ”に出すため、今日は3頭を港から船に積み込むということだ。運搬用トラックに乗せる一部始終を見せてもらった。荷台から下ろされたスロープ。角にかけた綱を左右から引っ張りながら、力ずくで上らせる。見てる以上に大変な作業なんだろうなぁ、と思ったと同時に、本気で嫌がり抵抗する牛の気持ちを考えてしまい・・・、切なくなった。心ん中で『頑張れ!』って叫んだけど、一体何を頑張れって言うんだよな。『高い値がつくといいね・・・』それもなんか違うし。結局、単純かもしれないけど、『これからもちゃんと“いただきます”って言おう』と思ったよ。「可愛そう」だけじゃ僕らは生きて行けない。一人一人にそれぞれの生活があり、色んな命に生かされているんだね。 気分的に何だかちょっぴり湿っぽくなってしまって、どうしようか迷った。今日まで泊まろうかなぁ・・・。いや、ダメだ!旅に未練は要らない! 後ろ髪を引かれながらも踏ん切りを付け、チェックアウト。おばあに挨拶、他の2人に別れを告げ、何とか予定通り11:00発のフェリーに間に合った。竹富島よ、絶対また来るからな! いったん石垣島へ戻り、チケットを購入。次に行ってみたいと思った島は、石垣島から南西に63Km、船で1時間ほどのところにある。その島では2月から6月にかけて、南の水平線上に南十字星を見ることが出来るという。目指すは・・・ 波照間島。日本最南端に位置する有人島だ。12時到着。航路の途中は、それなりに波があって揺れたが、嬉しいことに、雲が切れて陽が差し込み青空ものぞいてきた。待ち合いターミナルでトイレ。歩くことを考え、半袖に着替える。売店のおばさんに『あのー、島の地図かなんかありますか?』と聞くと「ハイ!200円」。えっ、お金とるんですか!? 背に腹は代えられず仕方なく購入。面積は竹富島の倍くらいか。歩けないこともないな。よし、いざ日本最南端の地へ。でもまあ急ぐことはない。寄り道しながらのんびり行こう。まずは島北部の史跡へ向かうことに。誰も通ってない道を一人黙々と歩いていると、背後から一台の車が近付いてきて止まった。巡回中のパトカーだ。よほど怪しかったのかなぁ。僕より年下だと思われる人の善さそうなお巡りさんが話しかけてくる。「こんにちはー。お一人で?えっ!歩きで?いやー厳しいと思いますよ。ん〜、宿は取っといた方が無難です。・・・、では気をつけて!」と、軽く言葉を交わし別れた。 辿り着いた城跡は何だか薄気味悪く、少し怖い感じがした。そこから島の中心の集落部へ。 いくつかの固まりが散在していたので、その全てをほぼ隈無く回る。竹富島に比べると、道は舗装され、やや活気がない印象を受ける。きっと時期的なことも大きいのだろう。集落を抜けるともう民家は一軒もなく、サトウキビ畑や原生林に囲まれた道をただひたすらに歩く。 レンタサイクル、レンタバイクに乗った一人旅の輩、数人とすれ違いざまにあいさつ。農作業中の島民の方にあいさつ。向こうからしたらきっと変な兄ちゃんなんだろうね。でも、なぜだか不思議と挨拶したくなるんだよね。さらに歩を進める。15時前、ついに到着。日本で一番南の地を踏んだ。 遥かに続く海を望みながら、「国境」とか「国籍」とは何だろう?と思った。山形県で放された蝶々が沖縄県で発見されたというニュースがあったけど、確かに、勝手に「線」を引いているのは人間だけだよなぁ。 達成感というのか、到達感とでもいうのか、心が満たされている感じがあって、1時間ほど草の上に横になっていた。さて、これからどっちへ行こう。海を左手に見ながら時計回りに歩こうか。地図中に「展望台」の文字を発見。よし、次はここだ! 5キロほど歩き「ソコナ展望台」に到着。石を円柱状に積み上げたもので、高さは5メートルといったところか。その上に駆け登り『おりゃーーーーっ!』と雄叫びをあげる。360度の視界の中に人間の姿は一つもない。動くものと言ったら、白いヤギの姿がぽつぽつと見えるだけ。見渡す限り誰もいないという、この開放感。日常では味わえない、至福の瞬間だ。結局、夕陽が海に落ちる寸前までそこにいたが、誰一人やって来なかった。さあこれから暗くなるぞ。急いで宿探しだ。いやその前に、腹ぺこなのでメシだ。中心部とは違う西側の集落を目指した。 一軒の食堂を見付け飛び込む。まずは生ビール。う〜ん、最高の味。食事を済ませ、急げ宿探し!それからまた1時間強、数軒を見て回ったが、この期に及んで優柔不断。どこもピンとくる所がない。う〜ん、どうしよう。何だか面倒臭くなってきた。何をどう血迷ったのか、足が向かうのは、朝一番にフェリーを降りた港の方向だ。外灯もない真っ暗な道を、持参していたヘッドライトで照らしながら歩く。決して気持ち良くはなく、爽快だとは言い難い。何とか港へ辿り着き、ターミナルの軒下に座る。明日の朝イチ便まで、ここで夜を明かすことにしよう。ブルーシートを敷き、横になった。何もやる事がなく、この数日間を振り返ったりしていた。1時間ほど過ぎただろうか。車が近付く気配を感じた。その瞬間、『うわっ、ヤバっ!』。パトカーだ。「お兄さん、ダメだよ野宿は!」と注意される。実はそのお巡りさん、昼間に声を掛けられたあのお巡りさんだったのだ。想像するに、恐らく、島民の方から通報があったんだろう。「港に向かって動く光がある」とか「変な人が歩いてる」とか。『昼間はどうも!キャンプ禁止ってことは何となく知ってたけど、外で夜を明かすのもダメなんですね。お騒がせしてスミマセン!』そう言う僕に対し、「うん、数年前に殺人事件があってから厳しくなってねー。」と、お巡りさん。「とりあえず乗って!」と言われパトカーで近くの素泊り宿まで送ってもらった。パトカーの中で世間話になり、彼が島でたった一人の警察官であることを聞いた。丁重にお礼を言い、宿にチェックイン。かなり遅い時間だったので、宿の人も困惑している。 シャワーを浴び、衣類を手洗い。部屋の中に干し終えて床に入ったが、その部屋には、夜通し格闘しなければいけない手強いヤツがいた。畳の隙間から這い上がってくる沢山の“アリ”だ。ウトウトしてるとチクリ。そしてまたチクリ。あー、寝れねぇー。そうしてる内に、窓の外では風が強まり、気が付けば土砂降りに。あのまま野宿してたら今ごろ大変なことになっていた。うわ〜、なんか命拾いしたような感じだな〜。お巡りさんに見付かって良かった〜。アリに悩まされながら、熟睡してるんだかしてないんだか。そうやって、嵐の夜が過ぎて行く。つづく。 |
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2006年12月27日 <旅日記 4> 『3日目』天気:晴れ → 曇り 「うわっ!」と飛び起きたら、何と10時半。その瞬間、今日もここに泊まろうと即決。昨日の時点では“1泊”としか伝えていなかったのだ。ダラダラと寝てる訳にもいかず、食堂のおばあにあいさつ。『起こしていいか分からなかったから放っといたよ』とのこと。テーブルには僕一人分の朝食が冷たくなって残っていた。二日酔いの状態で、胃袋に掻き込む。 前もって調べておいた週間天気予報によると、今回の旅中で今日が一番天気が良いということだった。明日からは下り坂。恐らく雨が続くだろう。やるなら今日しかない。しかし海水パンツなど持って来てない。さあ、どーする。「やりたい!」と思ったことを行動に移せるかどうかが大事なんだーっ!などと自分に言い聞かせたが最後、『おばあ、水中メガネ貸して下さい!』あっ、、、言ってしまった。もう後には引き下がれない。・・・ということで、泳いできました。12月の竹富島、コンドイ浜。しかも、下着パンツ一丁で。まぁほとんど人もいなかったし(女性の姿は遠くにちらほら見掛けたが・・・)、それに宿のおばあもそれで良いって言ってくれたし。ご愛嬌ってことで。 僕が泳いでる姿に刺激されたのか、そのあとから自転車でやって来た修学旅行生と思しき男の子たち数人が、これまたパンツ一丁で次々に海に飛び込んでくる。元気があってよろしいではないか。俺も負けちゃいらんねぇー!と、それからしばらく、泳いだり、潜ったり、仰向けに浮かんだり。いやいや、何年ぶりに海で泳ぐだろう。ついついはしゃいでしまって、息があがっていることに気付く。しかも今日は二日酔いではなかったのか!イカンイカン。無理は禁物。ということで、それからは17時前までずーっと、砂の上に寝転がり空を見上げて過ごした。少し肌寒くなってきたので、ぼちぼち歩いて宿まで戻ろうか。 宿に帰り、シャワーを浴び、衣類を手洗い。18時からみんなで夕食。今夜はお酒はほどほどにしよう。食後は、おじいとおばあの琉球民謡で盛り上がった。三線の音色が何とも言えず温かい。昔から歌い継がれているその唄たちの意味を一曲一曲説明してくれたのだが、それらは全て、生きて行くために必要な、生活に根付いたものばかりで、考えさせられることが多かった。 21時を回った頃、とても興味深い話を聞いた。『この島にもホタルがいるよ!』なぬーーー!ホっ、ホタルーーー!よし、探しに行こう!ということで、宿泊者みんなで夜の散歩に出かける。外は真っ暗なので、一人一つずつ、手には懐中電灯を持参。いやーそれにしても、今まで知らなかったなぁ、沖縄に蛍が生息してたなんて。おそらくは「琉球ボタル」と言うらしいのだが、驚いたことに、なんと成虫になる前、つまり幼虫の状態の時もオシリが光るというのだ。要するに、羽化してないから飛べない訳でしょ。う〜ん。なんて考えながら目を凝らしていると、ほら、道の真ん中で小さく光ってるじゃないですか。“地ボタル”君だ。体裁は決して良くないけど、ちょっと感動。草むらの中にも幾つも光を見つけたよ。その帰りにはバナナの木に生る小さな房も発見。冬のバナナには黒い種があるそうだ。知らない事がたーくさんあるね。 とても良い気分だが今夜は深酒などせず、翌朝に備えて0時には寝るとしよう。さて明日はどこか別の島にでも行ってみようかな。おやすみ。つづく。 |
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2006年12月26日 <旅日記 3> 『2日目』 5時50分、起床。物音を立てないよう静かにシャワーを浴び、身支度を整える。友達の出勤に合わせ家を出、車で離島桟橋まで送ってもらう。曇り空。少し風も感じる。昨晩の飲みの席で友達に「せっかくだから石垣だけじゃなくて他の島にも行ってきなよ!」と言われ、いくつかの島を薦められた。それじゃまず、近い所から行ってみるか。ということで、8:30発のフェリーに乗り、石垣島を後にした。向かうは、昭和62年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された「赤瓦の家並」が残る、あの島だ。 10分ほどで竹富島に到着。港に隣接する総合案内所へ行き、島の地図をもらう。カウンターの女性からお勧めスポットをいくつか聞き出し、いざ出発。周囲9Kmの小さな竹富島とはいえ、果たして一日でどれだけ回れるだろうか。まずは集落地区を目指すことに。 歩き出してしばらくすると、雲が切れ、薄日が差してきた。半袖になる。目の前に現れる民家群。映画のセットみたいで、『うわぁ〜』しか言葉が出ない。異国に来たような、タイムスリップしたような、僕の中では非日常な感覚だ。集落を縦断し、さらに進む。 10時すぎ。亜熱帯特有の植物が生い茂る道の先に辿り着いたのは、沢山の修学旅行生やツアー客で賑わう「カイジ浜」。女の子たちが“星の砂”を必死に集めている。そんな砂浜の片隅に、持参していたブルーシートを敷き、ゴロンと横になって休憩。打ち寄せる波の音、潮の香り、心地よい風、・・・。気が付けば、ほとんど人もいなくなっていた。 ・・・この島に住むとしたらどうやって暮らしていけばいいのだろう?今の僕では恐らく生きて行けないかも知れないなぁ。離島に生きるということの厳しさ、求められるタフさを考えると、いかに自分が「文明社会」「都会」の中でぬくぬくと生活しているのかを思い知らされる。なんと甘っちょろいことか。ここでの生活は、本当に必要なものを大切にしていくような、そしてそれが受け継がれて行くようなとてもシンプルなものなんだろうなぁ・・・。 1時間ほど物思いにふけった。カイジ浜を後にし、島の外周道を北上。 途中、いくつかの浜辺に寄りながら、最北の「美崎浜」まで歩く。それから再び集落方面へ向かうため南下。1953年6月25日に建立されたという「なごみの塔」に昇り島全体を一望した後、昼メシにする。 石垣島の友達から『竹富島には高校時代の同級生がいて店をやってるよ』と、今朝方、車の中で聞いていた。13時すぎ。「恐らくこの店だろう」という勘を頼りに飛び込んだ。んーーー!ビンゴ!!!これまでの経緯を説明しつつ注文する。昨日に続いての「八重山そば」と、「オリオンビールの生」。すると、な、な、なんとビールはサービスしてくれた。その上、今晩の宿まで手配していただいて、いやいや本当にありがとうございます。同級生の方にお礼を言って、14時すぎにそのお店を出る。先にチェックインでもしておこうかな。 宿に着き、“おばあ”に挨拶。軽く話がはずんだ後、島の東側に位置する「アイヤル浜」へ行ってみることにした。宿からは2キロほどの距離だ。 ジャングルの中を突っ切るような荒々しい雰囲気の一本道を数10分進み、たどり着いたアイヤル浜。潮流が速いため遊泳禁止。サンゴの欠片が帯状に打ち上げられていて、その中から二つの文字を探す。たった一人の浜で、一時間かけて見つけた『ム』と『ク』。その他『亥』という字もこしらえてみた。「無」になれた時間だった。 16時まで過ごした後、また集落部まで戻り散策。どこかのテーマパークにでも迷い込んだような気分だ。少しずつ陽が傾いてきた。せっかくだから夕陽でも見に行こう。島の西側にある、その名も「西桟橋」まで足を伸ばす。日没までの30分間、桟橋に寝そべりながら沈み行く太陽を眺めていた。 18時すぎ。宿に戻った時には、食堂で夕食が始まっていた。スーツ姿の添乗員さんと一緒に6人のおばさま達。群馬や埼玉からツアーで来ているらしい。その他、一人旅の男性が二人。一人は栃木出身で東京在住の大学生。もう一人は京都弁が印象的な40歳くらいの技術者か。泡盛を飲み始めてしばらくすると、僕らお客を含め、その場に居合わせた人たち(遊びに来ていたお孫さんや集まって来た親戚の方々)が自然と仲良くなり、気の合う者同士で近くの飲み屋さんに出かけた。それから何時間そこに居たのか、どれくらい飲んだのか、何を語り合っていたのか、どうやって帰ったのか、あまり覚えていない。長くて濃い一日が終わった。つづく。 |
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2006年12月25日 Merry Christmas! |
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2006年12月23日 <旅日記 2> 『到着〜1日目』 ほぼ午前10時ちょうど、石垣空港に着陸。日差しはなく曇天。所々に色濃い雲も混じる、あいにくの空模様。空港ターミナルを10:10過ぎには出発。バスやタクシーには見向きもせず、まずは空港から東へ歩くことに。国道390号線をひたすら2時間。何もない。 正午を回った。その辺りで一軒の食堂を見付け、昼メシにする。腹ぺこだったのに加え、喉も乾いていたので「石垣島ビール」と「ゴーヤチャンプル」、追加で「八重山そば」、と、結構なボリュームに腹も膨れた。 1時間ほどゆっくりし店を出る。さて、今夜の宿を探しに後3〜4時間は歩かなきゃな!と意気勇んで踏み出したその途端、石垣に住む例のミュージシャン友達から電話が入る。 僕が次の日までかかって歩いて行こうと思っていた道のりをドライブ。『実は明日、最北端の平久保崎まで歩いて行こうと思ってたんだ』と言うと、『無茶すぎるからやめとけ!』と忠告された。実際のところ車で走ってみると、予想以上に、あまりにも遠く、道すがら野宿できるような場所など何もなかった。ちょっと甘く見ていたかも・・・と反省。早くも、「島内徒歩一周計画」は断念。 平久保崎の灯台から市街地まで戻ってもらい、缶コーヒーをすすりながら語り合っていたら気が付けば17時前。20時半くらいにまた会う約束をし、右も左も分からない街の中心部で車を降りた。さて、どっちへ行こうか。 気の向くままに、3時間歩いた。あてもなく、よく歩けるもんだと自分でも思う。知らない街を、しかも誰にも邪魔されず歩く、あの感覚が僕は大好きだ。そのあと友達から電話があり、合流して晩メシを食べた。彼が今やっている事や抱えてる想い、そして僕の今の状況や二人の思い出話などを酒のつまみに、気が付けば泡盛1本を飲み干していた。故郷の石垣島に帰って「生きて行く」ということに向き合っている彼の姿はとても活き活きしていて、とても刺激になったなぁ。今夜は彼の自宅にお世話になることに。明日にそなえ、0時には布団に入る。う〜ん、今夜はいい酒だった。おやすみ〜。つづく。 |
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2006年12月22日 <旅日記 1> 『出発前夜〜出発』 翌日から始まる「貧乏ぶらり一人旅」のことを考えていた さてさて、どんな旅になるのやら。つづく。 |
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2006年12月21日 ただいまっす! 御無沙汰っす。みんな元気ですかーーーーーーーーーーー? 旅日記は、整理をしながら少しずつアップしていけたらと
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2006年12月10日 遠くへ。
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2006年12月04日 丸3年。
季節というのは確実に移り変わって行くもので、 先日、一本のワインを飲みました。 今年の誕生日プレゼントにファンの方から頂いたもの お酒と食べ物の相性なんて若い頃は特に考えた事もなくて、 意識して会得するもの、と、無意識に身に付いているもの。 だから、本当に必要だと思うものは、きっと“その時”に いかん、いかん。何だか固い話になってきたね。 ここ数日、手書きの文章を書いていて、間違っては破り、 ではまた、近日中に。 |
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やらなくてはいけなかったことを何とか無事に終わらせ解き放たれこの身。そしてまた、ふと何処かへ行きたくなった。行くなら今しかない!ということで一週間ほどのぶらり旅計画。荷物は最小限にリュックひとつで、泊まる所も行程も決めていない。まぁ、どうにかなるやろう。西か東か、南か北か。もしかしたら君の住む街かもね。ただいま羽田空港。これから「初めての場所」へ行ってきます。



